「殺人、レイプ、セクハラに限らず、重要犯罪の加害者の9割以上がオトコである。レイプ、DV(ドメスティック・バイオレンス)被害者の9割以上がオンナなのだ。それなのに、何を怖がって、何を恐れて、『この世の中は女性が男性からの暴力にあいやすい社会なのだ』という問題定義にしないのかなぁ、と不思議に思う。いったい、誰にとって公平であろうとしているのだろう」という言葉が、北原さんの著書『オンナ泣き』の中にありました。北原さんは、世の中の男女差別や理不尽なことに対し、フェミニストであることを宣言しながら「イヤだ」「おかしい」「どうして?」と、問題提起を続けていらっしゃいますが、「女で損!」と感じたきっかけはなんだったのですか?
小学3年生のときに、転校をしたんです。それまで女の先生だったのですが、初めて男の先生になった。で、その先生が、やたらと男女差を強調する人だったんですよ。「男子は女子を呼び捨てにしていい。でも、女子はもっと丁寧な言葉を使いましょう」……びっくりしました。昨日まで気軽に名前で呼んでいた子を呼べなくなっちゃって、大混乱。どうして?と思っても、子供にとって、先生の言葉って絶対でしょう。すごくショックでした。授業中にあくびしてたら「女のくせに」「女の子があくびするもんじゃない」と言われたりね。
それと、転校先の学校、女子だけブルマーだったんですよ。あれも嫌だったなぁ……ブルマー、なんであんなに嫌だったんだろう(笑)。パンツみたい! カッコ悪い!と思ったんですね、たぶん(笑)。男の子のすとんとした白い短パン、私もこの前までこれはいてたのに、って。転校して、先生も体操着も変わって、屈辱的なメにあって、「女である自分」を「突き付けられた」気がしました。子供にとって、学校は仕事場みたいなものじゃないですか。その逃れられない状況で、納得できないルールを押しつけられることに、非常に違和感を感じましたね。
でも、同じ経験をした女の子でも、損だとか悔しいと感じないで、「そんなものかな」と自然に受け入れる人もいます。損だと感じる、感じない、という違いはなんなのでしょう?
子供のとき、女ならば全員フェミニストだと、ずっと思ってたんですよ。だって、「女ならば」「女のくせに」って屈辱的に使われる事が多いですからね。でも、フェミにならない人もいる。不思議ですね。家庭環境なんでしょうか。私の家も、確かに父は威張ってた。でも、母が何も考えずに仕えているわけじゃないのはわかっていたし、父が「男だから威張っている」とは、わからなかったし。祖母が旅館の女将だったので、芸者さんが身近にいましたが、「きれいな女の人っていいな」というくらいで、「女は美しくなければいけない」と教わったわけでもないし。
なるほど。家庭環境は、確かに「ものの考え方」に大きな影響を与えますよね。北原さんは、ご兄弟はいらっしゃるんですか?
妹がひとりです。でも妹は、私とぜんぜん違うんですよ。結婚したし、子供もいるし。今もラブピースクラブで一緒に働いているけれど、話、ぜんぜん合わないですから(笑)。そうか、男兄弟がいたら、私も違っていたかもしれない。両親は彼に期待するでしょうからね。私は長女で、両家にとって初孫だったんです。だから、妹とは「期待のされ方」がぜんぜん違った。私は、「男の子」のように育てられたのね。男と同じだと思ってたのに、突然、落とされた。自分がいた男のポジションから下へ。だから「悔しい」と思うのかも。妹は、最初から「女の子扱い」だった。初めから「下」だったら、落ちようがないですものね。
私は小学生の頃から、成績はよかったんですね。クラスで1番か2番、という自覚があるから、落とされた意識が強い。でも、クラスで下から4〜5番目だったらどうなんでしょう。男の子は力持ちとかスポーツができるとか、学力とは別の道がある。諦めない。もしくは、親が諦めさせない。バカでも男ですから。女の子の場合は、「私は女だから」と諦められますものね。学歴社会の底辺にいても、女は「女でよかった。男の脅威にならないからよかった」と思える。どちらも性別をよりどころにしているのに、その方法が男と女であまりにも違うじゃないですか。私にとってみれば、屈辱的に見えるような方法で、自分の性をよりどころにすることに、非常に悔しさを感じますね。私の行動の原動力は「悔しさ」なんです(笑)。
学生で「悔しさ」に目覚めて、それからはどうされたんですか?
一度は落とされたんですけどね、自分だけは違うと思ってたんですよ、どこかで。自分はヘマしない、と。学歴があっていい会社に入れば、安全地帯に入れると思ってた。そこにいれば傷つくことはないと。なぜなら、私の下には、たくさんの男が、低階層の男がいっぱいいるから(笑)。今から思えば、錯覚だらけの見事に嫌な奴!ですね。偏差値偏向教育を受けてるから(笑)。だから、大学も一番就職できそうな大学を選んで。男と一緒にいて悔しい思いをするのが嫌で、自分を傷つけるのが嫌だったから、女子大(津田塾)を選んで。中学と高校も、女子校に行きたかったのに、全部落ちたから、大学はもうそこしか受けない!と。努力したもの勝ちだと、本気で思ってました。
念願の女子大に入学されたわけですが、フェミニズムを学問として捉えられたのは、その頃ですか?
いいえ、私が大学に入学した'89年に、大学で女性学をコースにしているところはありませんでした。ジェンダーなんて言葉も授業で聞いたこともない。その頃の私は、フェミは勉強するものじゃなくて、趣味だと思ってました(笑)。フェミニズムを理論立てて教えてもらえるものだなんて知らなかったし、上野千鶴子の本は黙って読む、ただの「読書」だと思ってました。
私が高校1年のときに、男女雇用機会均等法が施行されたんですね。そのときに読んだ上野千鶴子さんの書かれた新聞記事は印象的でした。まず、これまで男女が平等に「働いてなかったんだ!」という驚き。だから、この法律ができて、自分の未来が約束されたみたいでうれしかった。でもその記事で上野さんがおっしゃってたことは「ザル法だ」ということ。それで、「そうなんだ! 騙されちゃいかんな」と。当時は、書いてあることは全部鵜呑みにしますからね。でも、騙されたんですけどね(笑)。
80年代後半には、机上の学問ではなく、実践する「生の」フェミニストがざくざくいたじゃないですか。それは心強いことでした。千葉敦子さん(故人)にも憧れました。千葉さんは、女が働くことやひとりで生きていくことをテーマに文章を書いていて、そんな千葉さんの姿は未来の私だと思ってた。海外で働いて、素敵なマンションに住んで、ひとりでやっていける女の人。かっこいい!と。それができると思っていたし、だから敢えてフェミを勉強して理論武装する必要すら感じなかった。道は開けている、と思ってました。「よかったこんな時代に生まれて。私が社会に出て行く頃には、もうすっかり整備されてる」と。景気もよかったし。「努力すれば勝てる」と、まだ思ってましたからね。だから、大学に入ってやったことは、金融とか経済。卒業したら、一流商社や外資系の会社でバリバリ働いて、と想像してました。(⇒次頁へ)
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