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世界が認めたオタクの王様 海洋堂 造形師 ボーメ氏:美少女”は自由な世界だ!
       
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取材・文:島田健弘 / 撮影:椎野充 / 動画編集:高松義明    
プラモデルでは満足できない! そんな人間がよりリアルで、完成度の高い模型を自らプラスチックで作った。できあがった模型はシリコン樹脂で型をとり、複製して、仲間に分け与えていった。それがガレージキットだ。
その型となる模型を原型と呼び、原型を作る人間を原型師、造形師という。今回登場する海洋堂のボーメ氏は、造形師界のカリスマだ。モノを作るということが幼いころから好きで、趣味は仕事と当たり前のように語るボーメ氏の得意ジャンルは“美少女”。スラッとしたカッコいい美少女を作らせたら右に出る者のいない、トップ造形師である。キング・オブ・オタクと賞賛されるカリスマは、いかにして生まれたのか。そこには異能の天才集団を抱える海洋堂の存在があった。
カリスマ造形師の誕生の物語を聞くということは、“模型の疲れは模型でとる”模型好きが集まった海洋堂の魅力を聞くことでもあった――。
ボーメ氏
【PROFILE】
ボーメ(本名非公開)
1961年大阪府生まれ。小学校4年生のころから、当時模型店だった海洋堂に出入りしていた。大阪デザイナーズ学院アニメーション科中退後、東京でのアニメーター業を経て、海洋堂でアルバイトとして働く。いつの間にか正社員になり、いつの間にか造形師に。美少女フィギュアのカリスマ。趣味は模型制作、読書、アニメ、マンガなど。趣味と仕事が完全に一体化している、まさに“模型の疲れを模型でとる”海洋堂造形師の代表。2001年には「キング・オブ・オタク」としてフランス・カルティエ財団に招聘された。現在、海洋堂が主催するガレージキットイベント『ワンダーフェスティバル 2004[冬]』に向けて新作を鋭意製作中。
モスラ年生まれの昭和36年組は日本の成長を見てきた
ボーメ氏
ボーメさんは子どものころから、模型に興味があったそうですが、模型とのファーストコンタクトはいつごろなんでしょうか。

小学校4年生のころに流行った『サンダーバード』ですね。ぼくらの少年時代はプラモデルはすごく高価なもので、テレビにでてくるカッコイイおもちゃを持つことなんてまったくできませんでした。近所のお兄ちゃんに見せてもらった『ジェットモグラ』がすごいショックだったんです。ただのおもちゃじゃなくて、“自分で作ることができるおもちゃ”。当時はまだ、チョコが10円とかで駄菓子屋で売っていた時代でした。1000円もするプラモデルなんてとても買えません(笑)。1000円も小遣いがあったら、ほかにいろんなものが買えますからね、ホンマに。見るだけで満足できました。

しかも、ぼくが生まれ育った門真(かどま)は本当に田舎でしたから、買い物に行くといったら守口なんです。母親と姉貴は買い物。ぼくは小さいから買い物には付き合わず、『そこ』で時間でも潰してなさいと言われるわけです。『そこ』が海洋堂だったんです。

ぼくもそれなりに悪ガキでしたが、模型の並んだウインドウを見ているときはそれだけで楽しかったので、おとなしかったんです。しかも、あのころは“模型屋さん”というものが近所になかった。駄菓子屋にも模型は売っていましたが、きれいに塗装されたプラモデルがケースに並んでいて、塗料や機材も揃った“模型屋さん”は海洋堂が一番近かったんです。それがいろんな意味ではラッキーでしたね。

プラモデルの魅力を知ったのと同時期に海洋堂を知ってしまったということですね。それで、この世界に入り込んでしまった。

大きくなるほど、行動半径が広がりますよね。小学校高学年になると、ウエスタン好きだったぼくは、買ってもらったでっかいカウボーイハットを被りながら、自転車で15分くらいかけてひとりで海洋堂に行くようになりました。ぼくは昔からメガネをかけていて、当時はお兄ちゃんと呼んでいた専務(宮脇修一)に、帽子にメガネだから『ボーメ』とあだ名をつけられたんです。みんなそのときはおかしなあだ名をつけられましたね。ドイツの戦車ばかり作っていたのは『ドイツ』。太ってメガネをかけていたから『ブタメガネ』。顔がぽよぽよしていたから『ムーミン』とか。もう、あだ名で呼ばれる人間はぼくだけになりましたけど。昔からの海洋堂を知っているのは社員では、ぼくのほかには平野英之だけになりました。


海洋堂屋上にはティラノサウルスとトリケラトプスが飾られている。映画『グレムリン』の特撮監督クリス・ウェイラス氏からのプレゼントだ。
とにかく、“あそこ”に行きたいという気持ちが強くて、親に怒られながらも、行ってしまうわけです。勉強もなにもせず、中学になっても。

ボーメさんの少年時代はおそらく、アニメや特撮、プラモデルといった、ビジュアルのエンターテインメントが大きく成長していった時代に重なると思うんです。『ヤマト』や『ガンダム』などはリアルタイムで観ていらした世代ですよね。

ぼくが生まれた昭和36(1961)年は『モスラ』が誕生した年なので、モスラ年と言っているんです。これってすべてを観ている世代なんですよ。『サンダーバード』、スーパーカーブーム、ミリタリーブームを経験して、『ガンダム』、ファミコンと。その36年組もみんなオッサンになってるんですけど、そういう意味で幸せな世代でしたよ。

万博が昭和45(1970)年に開かれましたが、ボーメさんが小学3年生のときですよね。

そうです。ですから、ぼくらはそういう高度経済成長の進み具合というものを目の当たりにした世代なんですよ。ちょっと前まで田んぼだった土地に石が敷き詰められて、それがアスファルトに変わっていき、次第にトラックが走る道路に変わっていくというさまを見ていましたから。それは松下(電器産業)の街に住んでいたからこそ、変わっていくさまが見られたということもありますね。レンコン畑とレンゲ畑で一面ピンクという世界だったのが、ドンドンと変わっていくんですよ。倉庫に(笑)。

そういう高度経済成長期の真っ只中を、ボーメさんは海洋堂で過ごしたんですね。そうして入り浸っているうちに海洋堂の社員になったんでしょうか?

いや、高校を卒業して、大阪のアニメ専門学校にいきました。アニメの仕事がしたいと思って。で、東京のアニメ制作会社に入りましたが、とてもやってられなかったですね。キツくて。それで3ヵ月で辞めてブラブラしてたんです。そんなときに海洋堂のギャラリーが茅場町(東京)に店を出すということになったんです。そこに見学に行ってバイトをさせてもらっているうちに、いつの間にかなし崩し的に社員になってしまいましたね(笑)。

最初はぼくの師匠である先輩の手伝いをやってたんです。それから大阪に戻って海洋堂の本社で仕事するようになりました。店には18時まではいなければならない仕事でしたが、18時を過ぎるとなにをやってもよかったんです。道具もなんでも使っていいと言うから、“わーい、作ろう”と。そしたら、いつの間にか“お前、造形師ね”と(笑)。(⇒次頁へ
●造形ルームに潜入!
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