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3歳から書を始められたということですが、そのころのことを覚えていらっしゃいますか?
覚えてますよ。グスグス泣きながら、逃げながらやった記憶があります。字に関しては厳しく教えられました。
厳しいというのはどういうことですか? 何に対して厳しいのでしょう。
字の形と配置、それにつきます。いかに字を美しく見せるかにうるさかったですね。母親から書を習っていたときは、いい気持ちはしない。もちろんそのおかげで、グングン上達しましたが。とにかく一人で書いているときは楽しくてしょうがなかった。字を書くのが好きだったんですね。
幼年時代を過ぎて、小学生時代はどうでしたか?
ほかの書道教室の先生についたりもしました。でも、やってることは同じで、お手本を模写していました。これを「臨書」といいます。今思い出すと、やはり字に興味があったんですね。学校の先生の字、下手な人の字、女の人の字など、マネするのが好きでした。丸文字をつくったりとか。字をうまく書くことに誇りをもっていて、クラスで見せ回ったりとかもしました。
字に誇りをもてるというのが、じつにうらやましいかぎりです。社会人になりますと、何かとパーティに出席することが多く、そのとき受付で記帳するのがイヤでイヤで……。
みなさん、それを言いますね。じつは根本的に根深いところがあって、日本人のほとんどの方が字にコンプレックスをもっている。それは英語も一緒かもしれないのですが、学校教育がコンプレックスを植えつける教育なんですね。基本的に字はうまくなければならないという妄想がありまして、字が下手な人はダメだとレッテルを貼る傾向があるんです。答えは一つだという教育に組みこんで、払い、留め、撥ね、書き順も含めてルールをがちがちに決めて、そのとおりに書かないと間違いであるとして、個性を消してしまっているんです。
コンプレックスが生まれるのは当たり前ですね。
答えは一つという前提で競い合わせる教育では、一切の自由がそこにはありません。そのなかで自信をもてる人は、そのときに1位を取った人くらいでしょう。あるいはスポーツ的な感覚で練習してきた人のみが字に対して自信をもてる。日本人のほとんどが字にコンプレックスをもっていると言っていいですね。
字に対するコンプレックスをもったことはありませんでしたか?
ないです。もちろん字がうまいという自信は人より書かされていたのでありましたし、センスもあると思っていました。それ以上に、字の書き方は一つではないのに学校での教え方はヘンだなと、子供ながらに感じていました。コンプレックスのもちようがないですよね。なんでも吸収しようとする性格のぼくは、下手な字を見てもいいなあと思うんです。この字はいいなあってあるんですよ。丸文字を見ても面白いし。味のある字を見るだけで幸せな気分になれます。
字を書くときに重要なことを教えてください。
コンプレックスをうまくコントロールすることでしょうね。コンプレックスを忘れ、気持ちよく書くということ。そのときになって気にしたってしょうがないわけだから。とにかく楽しく書くことです。また、コンプレックスはうまく使うと、上達につながることもあります。
書道とペン習字とは違うものですか?
かなり共通点があります。字の形、書くときの強弱、スピードはほぼ同じです。ぐっ、すーとか。筆の感覚で書けばペン習字もうまくなる。筆でうまく書ける人はペンで書いても字に立体感があります。同じ太さで書いているようでいて、太い細いがあるんです。柔らかさ、堅さもある。薄い濃いもある。だから、毛筆がちゃんとできている人はペンでも味が出てきます。
日本語は基本的に右手で書くような字の構造になっていますが、左利きの人はどうしたらいいのでしょう。
まったく気にする必要はありません。左利きの方は左手で書いていいんです。片岡鶴太郎さんは右利きなのに左手で書いています。右手で練習することも楽しめれば、なおよいでしょう。
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