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本田さんが哲学を語ろうとしたのはなぜでしょうか。
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この本は「哲学」を語っているわけではありませんよ。「哲学史」を語っているんです。いまは哲学(=三次元の物語)がない時代です。精神分析学者の岸田秀は'70年代終盤に「唯幻論」という思想を唱えました。それは「世界とは幻想である」という主張です。人間には自意識というものがある。誰もが自分の意識、自分の物語を舞台にして生きているんです。逆にいえば、自分の物語がないと生きていられない。真っ暗な部屋の中に閉じ込めて情報を遮断するという拷問がありますけど、それと同じですよ。常に自分の物語を作っていかないと、人は耐えられない。その物語の土台になるものが、時代の思想です。現代の日本は、その思想がなくなってしまった時代ですよね。だからこそ、こんなにオタク文化が広がっているんだと僕は思います。今の日本にあるのは、ただ、資本主義だけです。でも、これは万人が受け入れられる思想ではない。
「人間には思想が必要である」。これはぼくも個人的な体験として実感したことでした。ぼくは17歳でひきこもりになって、世間や家族と断絶していた時期があるんです。その時は、すべてが信じられない状態で、この世のなにもかもを疑っていた。それはまさに、方法的懐疑といいますか、もう自我以外はなにもない、「我思う、ゆえに我在り」という天然のデカルト状態になっていたわけですよ(笑)。
でもそんな状態では生きていけないわけです。だから、自分の物語の出発点となる、自分が生きていくために必要な世界観を作っていかなければならないと思ったわけです。
とはいえ、いきなりゼロから自分なりに思想を打ち立てるとですね。それはとんでもない電波なことになって、世界最終戦争とか言い出しかねないわけです(笑)。やはりちゃんと哲学の勉強をしてから考えないといけなかった。この『喪男の哲学史』は、その当時に学んだことを土台にして、今の自分の視点からあらためてまとめた哲学史なんです。
なぜ、日本には思想がなくなってしまったのでしょうか。
それは'80年代に入って、資本主義の対抗思想である共産主義が崩壊してしまったからだと思います。その結果、両者の均衡が崩れ、資本主義に歯止めをかけるものがなくなってしまった。お金を儲けることを善とする資本主義を放っておけば、格差社会に行き着くのはわかりきっていたことなんです。冷戦時代、共産主義がまだ存在していた時代は、資本の論理を放っておいて社会に格差を広げると、共産主義革命が起こる可能性があった。国際関係でいうと資本主義の先進国が途上国をあまりに搾取してしまうと、その途上国は共産主義陣営に走るリスクがあった。そのために、イヤでも資本主義を暴走させるわけには行かなかったんです。しかし、冷戦が終わり共産主義革命はもう起こらないとわかった。その結果、資本主義をとどめるものがなくなり、暴走が始まった。ひたすらモノを消費し続けて、快楽だけを追求して死んだらそれまでと思って行動している時代。現代は、ニーチェの言う「ニヒリズムの時代」がまさに到来した時代になりました。
このままでいいわけがない。しかし「お金を儲けてなにが悪いの?」という人に答えるためには、それに替わるだけの新しい思想が必要になるんです。その思想を打ち立てることは、僕にはできないし、それは小説家の仕事ではない。だから、とりあえず思想づくりの土台として、現代までの哲学史を自分なりの視点から編み直して、本を書いたんです。この『喪男の哲学史』で僕は哲学復活ののろしをあげたつもりなんですよ。
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