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巨乳をビジネスにした男 野田義治とEFGガールズ

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巨乳をビジネスにした男
(VIII)

 出産後の復帰から1年が経ち、雛形の仕事は軌道に乗り出してきた。だが、ちょうどその時、写真週刊誌で、雛形は担当マネージャーとの「不倫疑惑」を報じられた。
「不倫疑惑」の記事が出た日、野田は海外出張中だった。ここでも野田の対応は素早かった。翌日に帰国すると、疑惑に真っ向から反論して、雛形とマネージャーを全面的にかばった。
 雛形は、騒動ののちもドラマの撮影、バラエティ番組の出演など、それまでどおりに仕事を続けた。
 いっぽうで、2002年8月4日、秋葉原でおこなわれた肖像権啓蒙キャンペーンに参加した。これは、タレントの写真を無断使用した雑誌が出版されたり、インターネットなどでタレントの写真を合成した画像がはんらんするなど肖像権侵害が横行しているとして、芸能プロダクション94社が所属する日本音楽事業者協会が企画したものだった。
 雛形は、「肖像権をナメてませんか?」と書かれたうちわを路上で配り、訴えた。
「勝手に写真を使われたりして、あまりいい気分はしません。みなさんに肖像権の重要性を考えてほしいと思います」
 2002年、2003年になっても、雛形の仕事のペースは衰えなかった。テレビ朝日の『結婚の条件』、フジテレビの『地獄の花嫁3』、NHKの『駆落ち』、日本テレビの『最後の弁護人』などのドラマ撮影のほか、バラエティのレギュラー出演も続いた。
 さらに、2002年からは舞台にも進出していく。橋本二十四脚本、山田和也演出の『エデンの南』、山本周五郎原作、ジェームス三木脚本・演出、市川染五郎座長の『さぶ』、大和作、ノーティーボーイズ演出の『畳屋バラッド』などに出演した。
「お芝居がやりたい」というのが、もともと雛形が芸能界に入った理由の一つだった。舞台は、ドラマの撮影とは違った難しさがあったが、目が大きく、姿形のいい雛形は、舞台でも映えた。
 相変わらず、仕事で忙しい雛形だったが、家にいる時は、できるだけ娘の伊吹と接するようにしていた。
 2003年12月に、雛形は、吉田兄弟の津軽三味線と雛形の朗読によるコラボレーション舞台『涙の温度』に出演する。ふだんから娘に絵本を読み聞かせていた雛形は、制作発表で「朗読の訓練になっています」と自信を見せた。
 この時、娘の伊吹は3歳になっていた。雛形が仕事の時には雛形の母親が面倒を見ていてくれたが、仕事に出かけようとすると、伊吹は「わたしも、いっしょにいく」と甘えた。それでも、雛形が「お仕事だからね」と言うと、「じゃあ、おばあちゃんとまってる」と素直に聞き分けた。
 しかし、この頃、雛形と夫との間に行き違いが生じていた。
 週刊誌での不倫報道が、夫に不信感を抱かせたのは事実だった。「芸能界で仕事してると、男の一人や二人、噂は出てくる」と野田は言うが、あくまで疑惑報道であれ、書かれたほうはいい気はしない。
 だが、それよりも、夫が気にしていたのは娘のことだった。夫は、雛形に、より母親としての役割を求めるようになった。娘が赤ちゃんの時には、雛形の母親が面倒を見に来てくれるだけでもよかった。だが、娘が2歳、3歳と大きくなると、母親としてもっと娘についていてほしいと期待するようになり、少なくとも、もうちょっと仕事をセーブしてほしいと思うようになった。
 雛形は、芸能界で仕事をしながらも、家事はしっかりしていた。朝早く起き、炊事・洗濯をして、仕事に出た。仕事にも遅れることはなかった。休みの時には、できるだけ娘と接するようにしていた。また結婚する時も、芸能界での仕事を尊重してくれたからこそ、夫と一緒になったのだった。
 だが、夫と雛形との間で、築き上げていく家庭のイメージにズレが生じてきていた。
 雛形は悩んだ。夫の言い分も、わからないではなかったが、雛形は仕事が好きだった。仕事をしている時の自分が、本当の自分だと感じた。
(わたしから仕事を取ったら、何も残らないんじゃないかしら……)
 雛形は意を決して、夫と暮らしてきた家から近くのマンションに引っ越し、娘と雛形の母親の3人で暮らしはじめた。離婚を覚悟しての別居だった。
 それからしばらく、夫とは互いのマンションを行き来する生活がつづいた。その後も雛形は夫と話し合ったが、なかなか溝は埋まらなかった。
 雛形は、2003年11月28日、都内の区役所に自ら足を運んで離婚届を提出して正式に離婚し、5年半の結婚生活にピリオドを打った。
 離婚はマスコミでも報じられた。12月9日、事務所のタレント総出演での晴れ着撮影会に出席した雛形は、記者の質問に対し、語った。
雛形あきこ 「いろいろありましたが、何事も経験だと思いました。来年は心機一転、頑張ります」
 離婚後、雛形と夫は、互いに慰謝料や養育費を請求するようなことはしなかった。もともと家族のイメージに次第にズレが生じてきただけであって、どちらに責任があるというわけではなかった。
 野田は、離婚が決定的になった時、雛形に言った。
「おまえは、事務所に戻ってきたんだから、おまえの生活は、おれが見る。給料をきちんと払って、子どもが20歳になるぐらいまではきちんとしてやる
 親権は話し合いの結果、夫が持ち、実際には雛形と雛形の母親の手で養育していくことになった。
 この時も、野田は雛形に言った。
「子どもがどっちになつくか、それはおれは知らん。でもだいたい、子どもは父親より母親になつくもんだ。絶対に母親のところに来る。おまえが、その間に男ができた、結婚したなんてことになると、女の子だから、嫌悪感を持って寄りつかなくなる。そのへん、注意しろ」
 雛形は離婚したことで、自分に強く言い聞かせた。
(なおさら、仕事を頑張らなければ……)
 野田も雛形に言った。
「今まで以上に頑張らないとな」
 翌年の正月、雛形は野田や事務所のタレント一同とともに、ハワイに向かった。毎年恒例の「イエローキャブ水着撮影会」に出演するためだった。MEGUMIら若手タレントが悩殺ボディーを披露するなか、雛形はここでは水着姿にはならず、ゲスト参加にとどめた。のんびりと休暇を過ごすのが主な目的だった。
 ハワイには娘の伊吹も連れていった。娘にとっては初めての海外旅行になった。ひさしぶりに、雛形と伊吹の二人で、ゆっくりと過ごすことができた。
 雛形は娘と浜辺を散歩したりして過ごした。娘と野田の3人で、食事をとることもあった。食後、野田が一服するために席を立とうとすると、娘も「あっ、じゃあ、わたしも〜」と言った。
 野田が「ちょと、タバコ吸ってくるだけだから」と言っても、野田についていきたがった。野田と伊吹の二人は、何するわけでもなく、散歩に出かけた。
 生まれたばかりのころ、野田が顔をのぞき込むと伊吹は泣き出した。しばらくして、今度は抱いてみようとすると、また泣いた。ヒゲ面で強面の野田は、なかなか受け入れてもらえなかった。
 それが、このハワイの休暇で、伊吹は一気になついた。ハワイの街で、どこへ行くにも、野田についていきたがった。野田は、伊吹と一緒に買い物に出かけ、好きなものを買ってあげたりした。
 子どものいない野田にとって、雛形の娘は、まるで孫のような存在だ。ハワイの休暇で、仲よくなれたことがうれしかった。
 それからは、よく雛形に「伊吹は元気か?」と訊くようになった。雛形の顔を見るなり、「伊吹は元気か?」と話しかけることもある。
 雛形が、ついこう思うほどだ。
(本当は、わたしより娘のことが気になるんじゃないかな)

(IX)

 2004年は、雛形にとって、離婚後の再出発の年となった。この年はドラマの撮影やバラエティの出演のほか、時代劇や舞台の仕事が続いた。NHKの時代劇『御宿かわせみ 第二章』、テレビ東京の『竜馬がゆく』や、池田政之脚本、中村龍史・大河内日出雄演出、堺正章座長の舞台『ねずみ小僧危機一髪!!』、永井愛作、江守徹演出・出演の『時の物置』に出演する。
 初めは緊張したが、慣れると、自分とまったく異なる人格を演じることを楽しめるようになった。もともと長回しの台詞を覚えるのは、雛形の得意とするところだった。
 離婚から心機一転、仕事もプライベートも順調だった。そんななかで、今度は事務所の「分裂騒動」に巻き込まれることになる。
 この分裂騒動の時、雛形は、まったく迷わなかった。今さら、野田以外の人と一緒に仕事をしていく気はなかった。16歳で初めて野田に会った時、信頼できたからこそ、事務所に入った。多少強引なところがあったとしても、最終的に信頼できたからこそ、ずっとついてきた。もし、野田以外の人にスカウトされていたら、メジャーデビューできなかっただろう、と雛形は思っている。自分のことを一番わかってくれて、考えてくれている人は野田だと、確信していた。雛形は野田についていくことにした。
 残るか、移るかの最大の要因になったものは、野田とともに歩んできた月日の問題であろう、と雛形は思っている。
 野田は、雛形のこれからの売り方について考えている。実際のところ、人気絶頂の20歳の頃に比べると、仕事の量は少なくなっていた。だが、野田は、これは仕方のないことだと思っている。どんなタレントであれ、ずっと人気をキープするのはむずしい。今は、コンスタントに仕事をこなしていけばそれでいい。
(ある時期まで来たら、階段の踊り場に到達する。そうしたら、しばらくそこで我慢して、また一段ずつ上がっていく。そういう仕事の仕方をしていけばいい)
 一般に業界では、ドラマのキャスティングでも、楽に視聴率の取れるタレントが選ばれる傾向がある。事務所の歴史や貢献度、タレントの可能性については、あまり考慮されない。「こうしたやり方は卑怯だ」と野田は考えている。
 だが、そうしたことも、当時の野田は気にしていなかった。雛形のためならば、以前より力を入れられると思っていた。いい仕事を取ってくるために、なりふりかまわず頭を下げる覚悟をしていた。雛形のためならば、なんでもできる気がした。
 分裂後、事務所が新たに再出発したことで、雛形も心に誓った。
(これまで以上に、頑張らなきゃ)
 自分をここまで育ててくれた野田や小森のためにも、できるだけのことをしていきたいと思った。
 いまや、雛形は事務所のタレントたちの中では、ベテランの域に入った。事務所の柱の一人として、みんなを支えていかなければ、ということも意識している。
 最近は、雛形が見ても、後輩たちの頑張りには、目を見張るものがある。誰もが、この世界で生き残っていくために、必死になっている。みんなそれぞれ、我が強い。自己主張がはっきりしている。雛形も我が強いが、それに負けないくらいだ。
 それでいて、変に衝突することはない。みんなで言いたいことを言い合って、お互いの才能を伸ばし、事務所をよくしていこうという気持ちがある。雛形は、そんな事務所の雰囲気が気に入っている。
 雛形は、2005年(平成17年)7月4日から放映のフジテレビの昼帯ドラマ『契約結婚』に主役で出演した。ひさしぶりの主演だった。
 それまで、さまざまなドラマに出演してきた雛形は、撮影現場には慣れていた。雛形は、スタッフや若手の役者とコミュニケーションを取りながら、現場全体を盛り上げていった。雛形は、若手の役者から頼りにされる存在になっていた。
 雛形が演じる主人公の万砂子は雑誌編集部で働く編集者。長谷川朝晴演じる同僚の福田信太郎と恋に落ちる。そして「永遠の愛などない」と思いこむ信太郎から、3年限定の条件で結婚を申し込まれる。“愛の力”を信じる万砂子と、“愛は儚(はかな)い”と思い込む信太郎の契約結婚がもたらす悲劇を通して、愛とは何かを問いかけるという内容だった。
 雛形が演じるのはむずしい役だが、それまでの人生経験が役に立った。ドラマの主人公は、結婚、出産、離婚を経験するが、雛形も実際に、それらをすべて経験してきた。その時の感情は心と体に強く残っている。それは雛形にとって財産となっている。娘を産むまでは、雛形にとって母親役とは想像でしかなかった。それが実感としてつかめるようになっている。
 近年、雛形はドラマの撮影に加え、舞台の仕事も多くなってきた。どんな役を演じるにせよ、これまでの経験が生きて、演技に表れているのが、自分でもわかる。経験が役の幅を広げていることが実感できる。
 雛形は役柄について、あれがしたい、これがしたいと、注文は出さない。そこは、野田や小森を信頼して任せている。ドラマや映画で、どんな役を与えられても、一つ一つ一生懸命演じていこうと思っている。
「本当に、絶対に、お芝居をやらせてあげるから」というのは、雛形が初めて野田に会った時の約束であった。その意味では、いまやっと舞台中心に活躍するという願いがかなったとも言える。
 2006年1月25日には、16歳のメジャーデビューから撮りためた秘蔵映像を収めた3枚組のDVD「雛形あきこ 野田社長セレクションBOX」を発売した。今では見ることのできない悩殺ポーズや、オフショット映像を満載した。
 雛形は映像で振り返ってみて、当時の自分では気づかなかったものが発見できた。雛形は、あらためて思った。
(グラビアがあったから、今のわたしがある……)
 グラビア撮影は、まったくやめてしまったわけではない。今でも、たまにやると楽しい。懐かしい気持ちになるいっぽう、新しいことをしているという気持ちにもなる。今なら今の、10代の悩殺ポーズとは違った、別の自分が出せると思っている。
(まだ必要とされるなら……、これからも続けたい)

第5章 終わり
巨乳をビジネスにした男

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