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田宮二郎主演版TVシリーズ『白い巨塔』【プロデュース・演出】小林俊一インタビュー
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第2回 述懐・田宮二郎
昭和の名作ドラマ『白い巨塔』にてプロデュース・演出を務めた小林俊一氏。全3回にわたって贈る独占インタビュー第2回では、ドラマ収録渦中にあった田宮二郎の行動や心情、そして自殺事件にまつわる話など、衝撃の事実を赤裸々に語った!

★ネタばれ注意★ 今回のインタビューの内容は、平成版「白い巨塔」ではまだ放送されていないストーリーに関連する場合がありますのでご注意ください。

取材・文:高木太郎/撮影:池田栄次


ドラマ撮影中、田宮さんの行動や精神状態はかなり不安定だったと聞いています。その頃のお話を教えていただけますか?

当時、田宮はよく「日本のハワード・ヒューズ(注:石油、航空機、衛星など広範な事業に成功した20世紀最大といわれるアメリカの大富豪)を目指す」と公言していました。政界人や財界人とも親交を深めていたようです。確か、2話から5話目を撮影していたときでした。田宮が、突然、「1週間、トンガに行く」と言い出したんです。私が「なにしに行くの?」と聞いたら、「トンガのウランの採掘権を全部、僕がもらいました。俳優・田宮二郎としてではなく、“日本代表の田宮二郎”として行ってきます」と言うんです。私や田宮の実兄が何回か説得したけれど、どうしても本人は聞き入れてくれない。その頃、トンガに行くには乗り継ぎ便で1週間に1便しかなかった。「もし、帰って来られなかったら、放送する完成品のストックがないんだよ。ギリギリなんだよ。(帰りの)飛行機がなかったらどうするの?」って聞いたら、田宮は「僕はトンガの国賓だから、軍の専用飛行機で帰って来ます」って言う。仕方がないから「じゃあ、トンガのどこに泊まるの? 連絡先だけでも教えて」って聞いたら今度は「いや、僕は国賓ですから“トンガ国・田宮二郎”で大丈夫です」って言われて……。結局、宿泊先も告げないまま、1週間で帰ることだけを約束して旅立っていきました。私は「これはまずいなあ……」と思って、フジテレビの上層部に「もしかしたら、これで終わってしまうかもしれない。中止にしますか? でも、続けるなら代役を考えますか?」と相談しました。もう、そこまで腹をくくっていたんです。でも、今更、財前に代役を立てるわけにもいかず、代役の人選にも身が入らず、約束の日まで待つことにしました。そしたら、約束どおり、1週間で帰って来ましたよ。空港から「田宮です。帰って来ました」と連絡が入りました。ただ、翌日、すぐに撮影に入りましたが、田宮も私もトンガのことに関しては、それから一言も触れませんでした。

小林さんから見ても、かなり田宮さんの精神状態は不安定だったと――

完全に躁鬱病だったね。トンガから帰国した後は、しばらく吹っ切れたように芝居に打ち込んでいました。でも、20話を過ぎた頃からまた少し変わり始めた。調子の良いときは、若い俳優に「君たち、ここはこういうイントネーションで!」と関西弁の指導をして張り切っている。ところが、調子の悪いときは、私を誰もいないところに呼び出して「小林さん、僕はもう芝居ができない……。ダメになっちゃう……」って言って急に泣き出したりしてね。あの大きな体で覆い被さるようにして抱き着いて「ううぅ……」って泣き崩れるんですよ。感情を全部剥き出しにして、もう号泣するんです。私は抱き着かれながら、心の中で「ああ、これは相当病んでるな……」と思いました。

そのとき、小林さんはどういう言葉をかけて励ましていたのですか?

もうね、聞くだけですよ。こっちがなにを言ってもきかないし、とにかく泣かせて全部しゃべらせて「うん、わかった。わかった」って肩を撫でてやって、もうそれしかなかったですよ。

撮影中、そういうことは多々あったのですか?

うん。でも、そんな困った時期がしばらく続いたかと思うと「今日は息子の誕生日なんで、新宿にレコードを買いに行くんです」なんてウキウキしながら出かけて行ったりする。ああ、いい父親だなって思わせられたりもしました。でも、それがまたしばらくするとドオーン!と鬱になる。正直、こちらとしては、ヒヤヒヤでしたよ。ドラマが、いつ終わるか、いつ終わるかって気が気じゃなかった。まあ、前半だけでも撮影できたらいいや、教授選の部分だけでもできたらいいやって思っていたんです。

ほかの共演者やスタッフとのあいだで現場の混乱などはなかったのですか?

少しはあったのかもしれないけど、田宮が悪い状態になれば、私は助監督やほかのスタッフに「ちょっと出てろ」って全員席を外させて、なるべく混乱させないようにしました。俳優のみんなもそれぞれがすばらしい俳優だったから、とくになにも言わなかったね。ただ、(太地)喜和子だけは思ったことをストレートに言う性格だったから「五郎ちゃん、最近、おかしくない?」と聞いてきたけども。でもね、ああいう田宮だったからこそ、いい芝居ができたんですよ。あれだけ、命賭けてやっていればこそね、生か死のギリギリのところでやるんだから。ほかの俳優にはできないでしょう。今でも、田宮版のビデオを見て思うけど、眼つきが違いますよ、ふつうの芝居とは違いますよ。目の輝きというか、もう演じているという眼ではないよ、あれは。

ほかにも田宮さんが演技に命を賭けていたというような具体的なエピソードはありますか?

30話で、財前が癌で倒れるシーンがあるんだけど、田宮はそのシーンの撮影前、3日間、飯を食わなかった。やつれた顔で「はあはあ」って息を切らしてスタジオに入ってくるから、私が「どうしたの?」って聞いたら「癌患者が元気ではいけません。もう3日ばかり絶食しています」って鬼気迫る顔でにっこり笑ってね。それは、俳優というより求道者のようでしたよ。もはや、芝居の域を完全に越えていました。それから、最終話で財前の遺体が解剖室に運ばれるシーンは、白い布を被っているわけだから、普通、主役はやらないんですよ。小さな役の俳優が代役するんです。でも、田宮は、自分の出番は終わったのにそのシーンの撮影が始まるまで帰らないでうろうろしている。私が「なにやってるの?」って聞いたら「僕、乗ります」って言うんです。こっちが「いや、いいよ、いいよ」って言っているのに、聞かずに自分からストレッチャーに乗ってね、教授や看護師が見守る中を解剖室に運ばれて行きました。心なしか、白布が小刻みに震えていたから、もしかしたら、田宮は布の下で泣いていたのかもしれません。あいつは本当に必死でしたよ。

小林さんが最後に田宮さんとお会いになったのはいつだったのですか?

自殺する3日前のクリスマスです。「白い巨塔」の撮影は11月15日に終わっていて、その後に田宮と喜和子と私の3人で食事をする約束をしていたんです。1ヵ月以上経って、ようやくそれが実現して、私の行きつけのレストラン・バーで久しぶりに再会しました。田宮は「『白い巨塔』の撮影が終わってから寝てばかりいました。財前五郎のような、あんな大きな役をやるとあとはなにをやればいいか判りません」と虚脱状態だった。私が「まあ、しばらくはゆっくり休んで、それから次の企画を考えましょう。私もご一緒させてください」と言うと「もちろんです」と言って笑っていました。それから、店を出て、車を呼んで、田宮が乗った。車が動き出して曲がるまで、田宮は窓から首を出してずっと喜和子と私に手を振っていました。それが田宮と私の最後でした。

田宮さんの自殺の第一報を聞かれたときの小林さんの心境は?

あれは年の暮れの28日でした。納会のゴルフ大会があって、車の中のラジオで聞いたんです。とっさに、その3日前に、田宮が車の中から身を乗り出して私と太地喜和子にいつまでも手を振っていた姿を思い出しましたね。「まさか!」という思いと「ああ、やっぱり……」という思いが入り混じって、頭の中が真っ白になりました。それで、慌てて田宮邸に行ったら、すでに報道陣ややじうまですごい人だかりでね、とても入れそうにないので、フジテレビに帰りました。「白い巨塔」の放送はまだ2話残っていたので、すぐに上司と今後のことを話し合いました。そこで、局の方針として、今までどおり放送しようということになり、<田宮さん御逝去を悼む>というテロップを入れて放送続行ということになった。私としては、田宮が命を賭けて出演した最後の作品が、放送中止になることだけは避けたかったので、とにかくホッとしました。

田宮さんの自殺について、小林さんなりに予感めいたものはありましたか?

私は疎いのかなあ……。でも、深夜、ハワイにいた山崎(豊子)さんに電話をしたんです。「田宮が亡くなりましたよ。自殺しました」って言ったら、山崎さんは「猟銃でしょ!」ってすぐに言われましたね。

「でしょ!」って言われたんですか?

そうです。それから「鉄平ですよ。『華麗なる一族』の……」と短く言われました。山崎さんが書かれた「華麗なる一族」という小説の中に万俵鉄平という登場人物がいて、その鉄平は最後に足の指で引き金を引いて猟銃自殺をはかるんです。生前、田宮は映画「華麗なる一族」で鉄平役をやりたいと、山崎さんに直談判していました。また、その死に方にも非常に興味を示して「鉄平の死に方は、純粋で男らしく、壮絶ですね。至近距離で猟銃を撃っても顔がつぶれないのは美しい死に方ですね」などと言っていたらしい。それに、鉄平が自殺したのも暮れの大晦日です。

山崎さんは田宮さんが長く躁鬱病だったことはご存じだったのですか?

気づいていらしたでしょうね。敏感な方だから。私のほうからはとくに言わなかった。山崎さんに心配かけてもしょうがないから。テレビっていうのはダメになったら、ダメになったときで、走り出したら、続けるしかしょうがないんですよ。だから、私から山崎さんにはあえて伝えなかった。

ほかの共演者は田宮さんの死をどのように受け止めておられましたか?

喜和子は「クリスマスの五郎ちゃんは、なんだか寂しそうだった」と言っていました。葬儀の席では、霊柩車のドアが閉まると、直情的な彼女は感情を抑えきれなくなって慟哭しました。私に抱き着いて地面に倒れるんじゃないかって思うくらい激しく泣き出して、それで文学座のマネージャーと二人で抱えてフジテレビの車に運びました。児玉清さんにしても、山本學ちゃんにしても「役のうえでいじめすぎたかな。かわいそうになった」っていうような後悔があるようでした。北村和夫さんなんかは京都のお墓にお参りに行ったんだけど、田宮は次男だったんで、本家の墓に入れなかった。でも、「『いいよ、田宮家のお墓なら』って俺は拝んできたよ」って言っていました。みんな、悪いことしたなというか、そういう意味では、俳優としても人間としてもみんな同情や尊敬を持っていましたね。田宮自身も、撮影のクランクアップの日、共演者やどんな小さな役の人にも、スタッフの一人一人にも「お疲れさま。ありがとう」とあいさつをする律儀な人間だったから。

田宮さんは「白い巨塔」の最終話はご覧になってから亡くなられたのですか?

最終話のプレビュー(試写)を見ています。「いい出来です。役者冥利に尽きます」と言って喜んでくれていました。今思えば、それが救いです。田宮二郎は財前五郎の役を完璧にするために死んだのかもしれない。それが、田宮の死の美学だったのかもしれない。ただね、それでもやっぱり惜しいですよ。田宮二郎はまだまだ、ほかにも代表作ができた人だったと私は今でも思っています。



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【第1回】財前五郎と寅さんをつくった男
【第2回】述懐・田宮二郎
【第3回】名作は時代を超える
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小林俊一氏が語る、田宮版『白い巨塔』衝撃の秘話!
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小林俊一(こばやし・しゅんいち):プロフィール
小林俊一
1933年、山梨県甲府市生まれ。1959年フジテレビ開局と同時に入社。制作局第一制作部チーフディレクター・チーフプロデューサーなどを歴任し、数々の人気作をプロデュース、演出した。主なテレビドラマ作品は「シオノギ劇場」「おかしな夫婦」「男はつらいよ」「太陽ともぐら」「赤福のれん」「白い巨塔」など多数。また、劇場用映画としては山田洋次脚本「新・男はつらいよ」(寅さんシリーズ第4作)の監督も務めている。現在も、日本映画テレビプロデューサー協会常務理事、企画制作会社「彩の会」代表取締役として、現役で活躍中である。
田宮二郎 テレビ版
小林俊一氏は昭和版『白い巨塔』のDVD(全9枚)についても監修を務めている

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