
21世紀の武者小路実篤になるかもよ?
数々の話題作を輩出してきた「ほぼ日刊イトイ新聞」。
その最初期から連載されてきた吉田戦車さんの「エハイク」。
これは漫画と言葉を駆使して吉田さんが発句し、それを評者さんが評するというナイスな新芸術分野なのです。
一方、吉田さんはちょうど同じ時期からMouRaでも「吉田○車シリーズ3部作」として、面白い絵と文章で吉田さんしかできない紀行作品を発表してきました。
今回、この2作品がメディアを越えて合体。ほぼ日×MouRaコラボレーション企画として両者が融合し、『エハイク紀行』という新作品が登場します。
このページでは、その『エハイク紀行』をご紹介していきます!
山形や腸にしみいる冷やし麺

旅があまり好きではないたちなのだと思う。
学生時代の夏休みに、ふらりとヒッチハイクで日本中を放浪、みたいな旅を経験している人を、とてもうらやましく思いつつ(一か月前とは顔つきが変わったな、とか言われるのだ)それは北極探検のような、自分には不可能な大冒険のように感じる。単純に人間を遊牧移動タイプ、農耕定住タイプにわけるならば、まちがいなく後者である。
一人旅というものができない。できないというか、しようと思わない。私の旅行の多くは、旅好きの同行者の意思によってなりたってきた。海外や沖縄など、自分からはけっして行こうと言い出さないような土地の見聞を広めてくれたのは、友人知人たちの行動力のおかげである。
そんな人間であるが、最近まわりにそれほどの牽引力のある旅好きがいなくなったためなのか、自分の中の天然の「旅ごころ」とでもいうようなものが、時折ふと首をもたげてくるのを感じている。
あと二ヶ月で四十四歳。旅の中に自分を放りこむのは、これからなのかもしれない。かっこいい表現だ。
エハイクの旅でもあることだし、まずはミスター俳句、松尾芭蕉先生の足跡を慕い、山形県に行ってみるのはどうか、と提案してきたのは、長年エハイクの【評】をお願いしている「評者」である。
ときにきびしく意地悪なことも言うが、いちおうは私の一番の理解者といっていいのかもしれない彼の意見である。聞くことにした。自分の中の旅ごころはどうした、という思いもあるが、まあいいだろう。
東北生まれの私が唯一足をふみいれたことのない東北がこの山形県であり、芭蕉の足跡うんぬんをさしおいて、私の頭に真っ先によだれとともにうかんだのが「冷やしラーメン」であった。蕎麦好きラーメン好きのお国柄と、盆地であるがゆえの夏の酷暑が生んだ、美味なる冷やし麺であるという。
午後五時過ぎに山形駅着。梅雨入りしたばかりの六月だが、晴れており気温は高い。市内のホテルに荷物をおき、さっそく冷やしラーメンの元祖【栄屋本店】にとびこんだ。芭蕉のことなど頭からすっとんでいる。
冷やしラーメンは、いわゆる冷やし中華とはちがう。
あちらもうまいものだが、あれはどちらかといえば中華サラダ的な思想を持っている食べものだろう。山形の冷やしラーメンは、文字通りあの熱々のラーメンをキンキンに冷やせないか、ということから考案された食べもののようだ。
うすい醤油色のスープがたっぷりはられ、氷がうかんでいる。酸味はほとんど感じない。赤み肉のチャーシューはどうやらビーフのようだ。遠くのほうに韓国、朝鮮の冷麺を思わせる牛骨系の風味があり、それをやわらげる和風だしの人なつっこさ。実に冷たいがこくもあり、想像していたのの三倍はおいしかった。
製法は店ごとにそれぞれことなるのだろうが、なんとも涼しい夏の麺である。
さっそく一句得ることができ、幸先がよかった。冷やしラーメンと熱燗というおもしろいくみあわせの夕食を終え、満足してホテルでねむり、明朝うめきながら早起きした。
目指すは山形から仙山線で数駅の「山寺駅」である。
ここでは「玉こんにゃく」のことを記さなければなるまい。山形県民のソウルフードの一つといってもいいのが、スルメだしで醤油色に煮こまれ串に三、四個さされた玉こんにゃくであるという。東京でも酉の市の屋台で口にしたことがあるが、その素朴なスナックが参道の店々で売られているのだ。
山門周辺で記念写真を撮る参拝客のほとんどが、こんにゃくを「ピース」的にかまえている。私も携帯電話のカメラを自分に向け、こんにゃくを口にくわえて撮ってみた。
山寺=立石寺は、松尾芭蕉が『奥の細道』において「閑(しずか)さや岩にしみ入(いる)蝉の声」と詠んだ寺である。セミはまだ鳴いておらず、千十五段あるきつい石段に、梅雨入りしたとは思えない強い日差しがふりそそいでいる。日曜日であり、たくさんの善男善女が大汗をかきながら石段を登ってゆく。
なまりきっている私の脚も悲鳴をあげていたが、日本中を歩き回っている芭蕉の健脚にとっては何ほどのこともなかったかもしれない。
セミの声はまだ聞こえないが、セミの気持ちになってみた。
山寺を下りたあとは「山寺芭蕉記念館」に向かった。すでに芭蕉翁と同じ石段を踏み、同じ岩に触れ、同じこんにゃくを食べたかもしれないということに、私はしみこむような感慨を味わっていたが、さらに翁と親睦を深めたいと思った。
ざっと展示物を見て感じるのは、俳聖といわれた人の「たいへんさ」である。
創作の苦悩、自信、不安、人への思慕や嫉妬や不信など様々な人間くさいものを感じてしまうのは、過去に読んだ芭蕉関連の本からの先入観だろうか。
自分自身をすりへらし、何かを犠牲にして創りつづけていくのが「創作物」の世界である。自分よりおもしろいもの、才能あるものはぜんぶ尊敬すべき敵。そしてそんな個人の「業」(ごう)を受けとめてくれる大自然というか、この世への感動。
そんなことをその時代の誰よりも常に考え、感じ続けていたのが芭蕉という人ではなかったか。
なんちゃって。
はい勉強は終わり、とばかりに、仙山線に乗りこんだ私の頭は、すでに次に何を食べようかという悩みでいっぱいであった。
駅前の居酒屋で、うまいものやそんなにうまくないものをいろいろ食べてホテルに戻ると、さして興味がないまま一応買っておいたサクランボが待っていた。山形の夜である。








