
勝田忠広|Tadahiro KATSUTA
広島大学出身、工学博士。原子力資料情報室スタッフを経て、NPO法人ピースフルエナジーを設立、代表を務める。東京大学大学院法学政治学研究科客員研究員の後、安倍フェロー、プリンストン大学研究員。
温暖化論争を科学的視点から見ると、さまざまな矛盾に気付く。
それに、どんなに気候の変化をシミュレーションしたところで、
未来を予測することはできない。
今度は、科学的な視点で地球温暖化論争を考えてみたい。
IPCCは、大型計算機を用いた大規模なシミュレーションを行った結果、2007年の最新の報告書で「20世紀半ば以降に観測された世界平均気温の上昇のほとんどは、人為起源の温室効果ガスの増加によってもたらされた可能性がかなり高い」[1]と述べている。自然起源の数値に人為起源の影響を加えることで、より現実に近い結果になったという(図1参照) 。
上記は一見、とても理にかなったことのように思えるが、報告書の元となっている「シミュレーション」の本質について考えたことのある人はいるだろうか。
シミュレーション、つまり数値計算による模擬実験は、アカデミックな分野だけでなくビジネスなどでも用いられているが、その“使える範囲”を知らない人は多い。
例えば何かの実験を行ったと考えてほしい。ある程度その物理現象は説明可能だが、同時に理論的検証も厳密に行いたい場合がある。そのとき、次のようなシミュレーションを行う。(1)実験で明らかになったある物理現象について、その特徴から説明可能な理論・仮説を導き出す。(2)その理論・仮説を証明する式をコンピュータ・プログラムに書き加える。(3)パラメータを変えつつ、数値計算を行う。(4)実験結果と比較し、理論・仮説が正しいのかどうかを求める。
この4段階の重要な点は、(1)で複雑な現象から如何にシンプルで代表的な事象を見つけることで、(3)はそれほど重要ではない。
映画か何かの見過ぎで、シミュレーションは科学者の想定できない、何か恐ろしい結果を導き出すことができると思っている人もいるかもしれない。しかし、それは誤解で、結果は基本的には直感と合わないといけない(ここでの直感とは科学的知識に裏付けされたもの)。「予想もしなかった結果になった」というのは、科学者としては少し恥ずかしいことで、その場合はまず(1)か(2)が間違っていることを疑う必要がある。当初の想定通りのシミュレーション結果が得られれば、自分の仮説が正しい。
怖いのは、シミュレーション結果が直感や自分の思う望ましい答えと一致したものの、実は(2)や(3)が間違っていたという場合だ。結果に満足すると、十分な検証作業を怠ってしまうことがある。
地球規模の気象現象など、複雑で既知の部分が少ない自然を対象としたシミュレーションの場合、予想を超える結果を得ることもあるだろう。しかしそれでも、限定的な条件で起こる仮説を超えるものではない。
なお、こうしたシミュレーションを行う過程において、例えば実験結果のような事実に合うように(3)のパラメータを変えて、都合の良い結果を導き出すことは難しいことではないし、その操作も内部の関係者でなければめったに気付かれない。
IPCCによれば、これまでに何回も改良を加えながら試算を行い、自然現象に近づけているという(図2 、図3参照)。世界の気象は、これらよりも、もっと複雑であることは予想できると思う。実は、図1が述べている全てのことは、「(図2や図3のような)本当の自然を簡略化した状況では、人為起源の影響を加えたときのほうが、そうしなかった場合と比較して、実測値に近い結果が得られた」ということに過ぎず、それ以上でもそれ以下でもない。
図1の元となったと思われる結果(図4参照)を見ると(図1は実はあまりにも簡略化したグラフなので)、確かにある程度の傾向はつかんでいるようには見える。しかし、これでIPCCのように断定的な判断をするのは、少なくとも気象学関連以外の物理系の研究者であれば、言い過ぎだという人は多いのではないだろうか。
シミュレーションは、確かに何かを検証するための重要な手法ではある。しかし、人類の予想できない何かを示すものではなく、単に複雑な計算を代わりに行うものでしかない。
「気象学は複雑なので、これでもシミュレーション結果は事実を十分反映しているのだ」と反論があるかもしれない。しかし言い換えれば、現状ではこの程度の大まかな範囲でしかものが言えないということだ。実際、今回のIPCC報告書では、モデルの不確かさが残っていることが主張され、現在の方法論の不確実性を脚注に記載することになっている[2]。 しかし研究者であっても、シミュレーションを行ったことがない人は、その結果を過信する場合が多い。またマスコミや一般の人々も一方的に成果を過大評価するし、温暖化問題を懸念する研究者たちは、あえてそれを訂正しない[3]。
