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聞き書き 四谷怪談

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 伝蔵さまのお怒りは、本当にお腰のものを抜いて切りかからん勢いでございましたので、米屋も質屋も、そしてお熊さまもあたふたとその場を立ち去り、孫兵衛も次郎吉を連れて、次の間に下がっていきました。

 又之丞さまは、そのご不自由なお身体について、また貧苦ゆえに受けねばならぬ恥をそそいでくれたことについて、伝蔵さまに幾重にもお礼を申し述べたいと思いましたが、あにはからんや伝蔵さまは、そのまま立ち上がって辞去なさろうといたしますので、
「お待ちくだされ。ものもいわずに立ち去りなさるは、よもや、わたくしをまことの盗賊とお思いのためでござるか」
「おぬしが盗賊でないことは、よく判っております」伝蔵さまのお声は、しかし冷とうございました。
「しかしながら、我ら義士の中にそのような、悪名を受けたものが一人でもあったとあれば、そこからどのような噂が人の口にのぼるか知れません。ましてやそのご病状は、いつ全快なさるともしれぬありさま。汚名をそそぐことのできぬまま、我らの一党におぬしを加えることはできません。それでは」
「お待ちください赤垣どのッ」

 ……ほんのわずかな悪評判も排してしかるべき、潔白を誇る義士の大義名分のために、伝蔵さまは又之丞さまの必死の叫びを打ち捨てるように、立ち去られたのでございました。
「くッ……」

 思わず悔し涙をこぼされました又之丞さまは、しかしながらすでにしてお心を決めておられたのでございます。ご病気も回復のきざしなく、仲間の面前で恥をさらし、もと家来の家で養生なさっても、いやみを吐かれるそのお身の上。これ以上恥をさらすことは武士としての面目が立ちません。
「……かたきの一人も討ちとめられず、切腹いたす我が無念。亡君尊霊あわれみたまえッ」

 ためらわず又之丞さまは、脇差を抜き、我が腹へ突き立てようとなさいました。
「うんッ」

 ところが、これはどうしたことでございましょう。腹を刺そうとしたそのとたん、腕が激しくしびれて動かなくなってしまったのでございます。
「くそうッ」

 無理に刀を握ろうといたします。……と、いつのまにか誰かの手が、刀を握る又之丞さまの手首を、しっかりと掴んでいるではございませんか。
「お前は……。お前は、小平じゃないかッ」
「おとどまり、くださりませ……」

 小平は蒼白く弱々しい姿で、表情もまったくございません。ただ又之丞さまの手首を握る冷たい手の力だけは、やけに強く、しっかりとしておりました。
「……今ご切腹なされては、犬死も同然でございます……。わたくしは、ようようお薬を手に入れましてございます……。これをお飲みになりさえすれば……たちまちにして本復なし……討ち入りに、お加わりなさることも、できましょう……」
「何をいうかッ」

 又之丞さまは、よもや小平が死霊であるとは思いもよりませんから、生きている家来と同じに叱りつけられました。
「盗んだ薬で主人の回復をはかるとは、いかにも下郎の考えそうなことじゃ。お前のせいでこの私は、身に覚えもない盗賊の汚名を着せられたわ。もはや討ち入りに加わることもかなわぬ。とめだていたすなっ」

 しかし小平は手首を離さず、他方の手にはそうきせいを握り締め、
「あなたの願いをかなえるためと……苦しい悲しい恐ろしい、いうにいわれぬ苦難の末に、ようやく手に入れた薬でございます……。これで全快なされて、どうぞ首尾よく本望の、門出あるよう……旦那さま……」
「くどい。覚悟いたせッ」

 又之丞さまは小平を突き飛ばし、その勢いで握っていた刀を振り下ろしました。

 すると小平の身体は、すうっ、と消えてなくなり、かわりに刀で真っ二つになったのは、なんと俗名小仏小平と書かれた卒塔婆でございました。
「これは……これはいったい……」

 ただならぬ物音を聞きつけて、孫兵衛とお花が入ってまいりました。お花は床に落ちた卒塔婆を拾い上げて、
「ああ、まさか……まさか、あの人が……」

於岩ぼうこん

 お花はそのまま泣き崩れて、あとは言葉になりません。
「小平」又之丞さまは静かに涙をこぼされ、「この世を去ったそののちも、わが難病を救おうと、寒気をふせぐ衣類といい、良薬までも持ち来たったのは、死んでも忠義をつくすためであったか……。そうとは知らず追いつめて、手討ちにまで……。許せ、小平。忘れはせぬぞ」。
「あの人は、今までここにいらっしゃいましたか」お花は泣き濡れた顔をあげ、「それならなぜ、私や子供に逢ってはくれませなんだ。私は、ひと目でいい、逢いとうございます……」。
「卒塔婆を見て悲しいのは、まことにもっともじゃ」孫兵衛も流れる涙をぬぐいもせず、「しかしな、わが息子の死骸をまのあたりにした、わしの悲しさは、とうてい言い表せるものではなかった。お花、許しておくれ。これまでいうにいえなかったのは、少しでも泣かせるのを遅らせようとしたためじゃ。若旦那さまも、ご推量くださりませ……」。

 孫兵衛とお花の嗚咽の響く室内で、ひとり又之丞さまは何事かお考えのご様子でしたが、やがて、かたわらに残されたそうきせいの紙包みをやにわに開くと、茶碗の水で一気に飲みくだされたのでございます。
「小平の遺したこの良薬で、私は必ず身体を治す。そしてすべてを大星どのへご説明もうしあげれば、わが汚名も晴れ、皆々と大事をともにすることができるであろう。小平よろこべ、私はふたたび立ち上がるぞ」

 ……しかしその場にいた誰一人、心底から又之丞さまのご本復と、きたるべき高野家討ち入りをことほぐ(*6)ことは、できなかったのでございます。家の中はまるで誰もおらないように虚ろで、ただ死んだ小平の無念だけが、残っているかのようでございました。


(『聞き書き 四谷怪談』第十四回 終わり)

※6:ことほぐ   言葉で祝う。よろこびを述べる。

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