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というわけで、日本の悪妻も見てみたいのだが、さて、誰がいるだろう。あんまり古い人にしても実態がよくわからないので、夏目漱石の妻で考えてみることにしようか。
漱石の妻鏡子のことを悪妻と呼んでいいかどうかは判断の分かれるところかもしれない。ただ、漱石がいろんなところに悪妻だと書きまくっているのは事実だ。そして、一時期はかなり深刻な離婚の危機もあった。
鏡子は貴族院書記官長中根重一の長女で、家柄的には夏目家よりも上だった。さてそこで、漱石がそのことを気にかけていたかどうかが問題になる。
漱石は、自分の学問に自信を持っていた男だ。だからいい家の娘と結ばれても、いまに学問で名をなして尊敬させてやる、ぐらいに思っていたはずである。
ところが、鏡子はそういうふうに考える女性ではなく、ただぼんやりと妻であるだけの人柄だった。夫をナメているわけでは決してないが、旦那様は偉い、とも思わないのだ。少し変人の夫だが、夫なのだから従おう、と漠然と思っているだけだった。そこが、漱石にしてみれば可愛げのない女だ、ということになる。
新婚の頃、鏡子が夜明けに近所の川へ身を投げて自殺未遂をしたことがあった。漱石が五高の教師で、熊本に住んでいた時のことだ。その時鏡子は妊娠中で、彼女は妊娠中だとヒステリーの発作をおこすことがよくあったのだ。この身投げには、夢遊病のような病気もからんでいるのかもしれない。
この時は漱石も大いにショックを受け、しばらく、寝る時には二人の手首を紐で結ぶようにして用心した。ヒステリーの発作をおこした時の鏡子は夫の頭を殴ったりしたが、漱石は病気なんだからと我慢して、されるままになっていた。
ところが、漱石がロンドン留学から帰った頃には、今度は漱石の精神状態がおかしくなった。ロンドンでの留学中に、勉強のしすぎからか漱石はおかしくなり、一時は、漱石はそうとう悪いらしい、という噂が流れたほどである。
どうにか帰国することはできたのだが、ついた仕事が東京帝大と第一高等学校での英語の教師である。どう考えてもその当時日本でいちばんの英文学者なのに、安月給の教師にあまんじなければならないことが漱石には面白くなかった。そして、学校での先輩教授たちの世間知らずの傲慢さにもムカムカした。おれはこんなところで何をやっているんだ、という焦りもある。
そこで、神経の病気がぶり返して、漱石はやたらと癇癪(かんしゃく)をおこすようになった。突然怒りだしたり、妻に無茶な命令をしたり、物を投げつけたりするのだ。
この時の漱石の怒りの原因は、鏡子が夫の値打ちをまったく知らず、我がままで変人だとしか思っていなかったことだろう。鏡子はそんなふうにしか思わず、夫だから従うしかない、とのみ考えているような女性だった。
そして、鏡子はついに、夫の荒れようがあまりにひどいので、子供をつれて実家に帰ってしまう。その時、こんなに性格の合わない夫婦では離婚するしかないかなあ、と考えていた。
この時、漱石も、このまま離婚ということになるのだろうな、と覚悟した。
ところが、鏡子は夫の癇癪のことで、知りあいの医者に相談をしたのだ。そうしたら医者はこう言った。
「夏目さんのあれは病気だから、すぐよくなるというものではありません」
そう言われて鏡子は、病気ならしかたがない我慢をしよう、と思ったのだった。健全な精神で私が気に入らないというなら別れるしかないが、あの癇癪が病気の発作のようなものなら、別れて子供たちを父のいない子にするわけにはいかないと考えたのだ。
それで実家からは2ヵ月で帰ってきた。漱石はびっくりしたような顔をした。しばらくして鏡子は3人目の子を産んだ。
それから1年後、漱石は高浜虚子に頼まれて『吾輩は猫である』という小説を書き始め、大変に評判がいいので機嫌をよくした。その頃から、ようやく漱石の怒りの発作は鎮まってきたのである。
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それからは二人も、そうぶつかることなく生活できるようになった。後に漱石が大病で倒れたような時には、鏡子は献身的に看病している。
しかし、鏡子を悪妻だと考えていい面も確かにあるのだ。鏡子は性格的に感動の鈍い女性で、夫のことを偉いと考えるところがないのだ。大作家になっても、我がままで勝手な人だ、としか思ってないようなところがあるのである。妻として夫にはつくすが、尊敬の念は彼女の中にはない。ただぼんやりと妻であるだけなのだ。
漱石がいちばんほしがっていたのが、尊敬であり、尊重であった時に、そういうことに気がつかず、変人の夫だなあ、とばかり思っていた点において、とても面白いタイプの悪妻だと私は思うのだが、いかがであろうか。
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