宮崎:まずは最近の「人権派弁護士」の批判について話したいと思うんですが……。
安田:かつて、多くの「人権派弁護士」と呼ばれる人たちがいました。しかも、「人権派弁護士」というのは、弁護士にとって有益な看板となっていました。「ブル弁」と呼ばれる人たちと対比され、民主的、知性的、学究的、清廉で優秀などというプラスの雰囲気を醸(かも)し出していましたし、世間も一目置いていました。実は、「ブル弁」のほうが、「人権派弁護士」より異端だったんですね。
しかし、「人権」の問題がシビアになってきて、少数派に追い込まれ、しかも社会の共感を得られなくなってくると、「人権派弁護士」という存在が、一気に瓦解していくんですよね。
魚住:それは要するに、中坊公平氏が1990年だっけ、日弁連の会長になるでしょ? あの頃から、ガーッと進んだわけ?
安田:彼の場合はちょっと違うと思いますよ。確かに中坊自身は「人権派弁護士」の部類に入っていたんだろうと思いますが、彼は、それを最大限利用して、日弁連の会長に上り詰め、次に日弁連会長という経歴を利用して国策会社である住管の社長とか内閣の特別顧問に転身したんですね。職業としての身売りですね。
しかし、彼がそのような転身をするのと、「人権派弁護士」が瓦解するのは軌を一にしていますね。彼らの多くが中坊の住管にくっついていたんですね。彼らは、いきなり、国家側に立って、警察・検察・裁判所という国家権力の最たるものである治安システムを存分に利用して借金の取り立てに回るんですよね。
魚住:それが住専事件だったよね。
安田:住管がRCCになってますます肥大化するんですけど、「人権派弁護士」は、借金をしている側ではなく、貸している側、つまり取り立てる側に回るんですよね。そして、その次がオウムで、彼らは、オウム側ではなく、反オウム側、つまり、警察や行政と一体となって、オウムを取り締まり排斥する側に回るんですね。「人権派弁護士」という看板は、完全にもぬけの殻になってしまいましたね。
宮崎:全部か?(笑)
安田:そう全部。オールラウンドに。あらゆる場面で転身する、三段跳びのような形で一気に、弁護士の大変節が起こるんです。
宮崎:ところが、ものすごくね……こだわるようだけれども……「人権派弁護士」が仮にいるとするよね。非人権派弁護士っているんだろうか?
人権派弁護士がいると言った以上は、非人権派弁護士っているの?っていう。たとえば渉外事務所とか、渉外を専門にやるところなんかは、人権を取り扱わないがゆえに非人権派弁護士かもしれないんだけど、そういう言い方っていうのはできないじゃないですか。人権派弁護士という言い方自体が僕は間違いなんだろうという気がして。
安田:間違いであったかどうかは、わかりませんが、今では「人権派弁護士」というのは、弁護士に対する蔑称としても使われていますね。それは、「人権派弁護士」とされていた人たちの変節が醜悪に見えるからなんでしょう。一体、彼らは、何をもって、「人権派弁護士」という看板を掲げていたんだろうと。
しかし、それよりもですねえ、「人権」を丸ごと切り捨てるという社会状況の変化が、「人権派弁護士」という言葉を蔑称に変えたんだと思いますね。
宮崎:ただ、その最近の状況の中で、人権派弁護士批判というのは、おそらく光市の母子殺人事件の弁護人の対応がボイコットとか、オウム麻原の控訴趣意書提出問題とかで、言われているのは、一つは裁判の迅速化という形でね、いくわけですよ、形としては。で、その迅速化という問題と絡めて、「弁護士の思想傾向が裁判の迅速化を妨害しているんだ」というところまでいってしまうわけですよ。その時に強烈にバックグラウンドとして出てくるのが、被害者の親族の「人権論」ですよね。これはあとで議論してほしいところなんですけど、被害者の親族の人権というものは裁判と関係があるんだろうかという問題が一つあるんですよ。
そのへんのところの問題と、それからその大前提として出てくる、「悪人を弁護するやつはけしからん」という感情論について議論したいと思います。大雑把にいうと、人権派弁護士に対する批判の中身ということなんですが、今のような流れが鮮明に出てきた時に、じゃあ弁護士や弁護士会っていうのは、抵抗しているんだろうか、してないんだろうかと。抵抗できる話じゃないんだろうか、どうだろうか、ということなんですが、まず一つは裁判の迅速化という問題ですね。2年以内にどうのこうのという裁判迅速化法まで作られてきている。果たしてこんなことでいいのかと。魚住さんなんかは司法担当記者をやってこられたけど、裁判の迅速化という問題は、本当に裁判制度上、絶対必要なことなのかな?