宮崎:それとね、今回の捜査の過程でおかしかったのは、今までテレビメディアなんてバカにしてた東京地検特捜部のOBが、次から次に出てくるんだね、テレビのコメンテーターで。それで最後は3月の人事と捜査の関係みたいなことまでコメントする。それだけサービスしているわけですよ。これはやっぱりおかしいと我々はどうしてもそう思ってしまう。
安田:僕はあんまりそうは思わなくてね。今までの特捜にしろ、検察にしろね、今回の場合は一段上を行っているという感じがする。フジサンケイグループの思惑はあったかもしれないけれども、いよいよ国家の暴力装置としての検察が登場したなという感じがするわけ。彼らは、社会ウケはしないと最初からわかってたわけ。ウケないと思ってるから、一生懸命、弁明のためにね、OBを総動員したと。彼らの感覚からすると、東大文学部出身(除籍)のヤツがね、しかもまともに会社勤めもやってないようなのが、フジサンケイグループと渡り合うなんて許されないと。あるいはTBSの資産よりも楽天の資産のほうが高いなんてことは許されない。何の実業もしてないじゃないかと。彼ら特有の秩序観、風紀観というのかな、そういう感覚だと思うんです。彼らは「国家警察」に変わったんです。日本には憲兵隊も治安部隊も存在しないけど、いよいよ彼らが「治安部隊」として登場したのが、今回の事件だと思うね。今までは、特捜が、あるいは検察が動く場合は、後手、後手だったんです。マスコミが動いて「こんなヤツをどうして処罰しないのだ?」と言ってから特捜が動いてた。それで、 「警察は動かないけど俺たちは自民党だってなんだってやるよ」と言った時には、もうとっくにマスコミがやってた。でも、今回は、マスコミレベルでは、誰一人としてライブドアをやれとは言ってないわけですよ。そもそも被害者も存在しない、「やれ」と言った世論もない。それなのに突然やったのはね、フジサンケイグループの思惑が引き金の一つになったかもしれないけど、でも検察も彼らに利用されるほどアホじゃないから、彼ら自身が、ライブドアのやり方、楽天のやり方に忸怩たるものがあったんです。
宮崎:嫌悪感ね。
安田:彼ら検察が国家の根本を維持しないと、戦後60年の間にちゃんとやってきた新日鐵、トヨタから始まってね、阪神電鉄でもそうですよ。こんな人たちが、堀江たちのわずかな株式でつぶされてしまうと。そうあってはならんと、彼らは思った。もちろん、既存の大企業とされているところは、検察官の天下り先でもあるけどね。
宮崎:それもあると思うんだけど、もう一つはね、やっぱり堀江みたいな若僧がね、メディアの一角を牛耳るということに対する嫌悪感もあったんだと。
安田:そりゃあるでしょう。今まで、検察とメディアが見解を異にしたことはなかったからね。
宮崎:ある種のメディアとの調和の中でね、検察というのはメディアとうまく折り合いながら自分の糧を守ってきたんだけど、一角が崩れると総崩れする可能性がある。
魚住:一角じゃないよ、フジサンケイグループなんか中核ですよ。
宮崎:これに対する嫌悪感でしょ。
安田:ホリエモンのレベルまでだったらいいけれども、それに味を占めてさ、三木谷がTBSをやろうとしたでしょ、これはいかんと思ったわけよ。
魚住:結局は、さっきの話じゃないけど、検察官僚というのが、戦前は国家の主人だったわけ。軍事官僚と並ぶ、権威的にはね。その検察官僚たちが戦争直後のGHQの司法改革によって危機に陥って、その復権運動をするわけですね。それで、田中派と戦い、田中派の圧力に押しつぶされそうになりながら、なんとかハネ返してここ十数年の間にわが世の春を作ったんですよ。だから検察官僚っていろんな役所に進出したじゃないですか。預金保険機構とか金融庁とか。もともと国家の主人であった人たちが、最近まただんだん主人になりつつあるんです。
安田:監視機構をどんどん牛耳ってるよね。監視機構を創設してはそこのヘッドになってるでしょ。
宮崎:民間会社の大きな会社のコンプライアンス(法令遵守)委員会なんて、ほとんどがヤメ検だからね。その位置をずっと維持してる。
魚住:そう、その主人意識がさっき安田さんが言ったような「ライブドアをこのまま放っておいていいのか」という気持ちになるわけ。ひとつは、自分たちのお仲間であるメディアの重要な一角をライブドアなんかに崩されてたまるかというのがもちろんあるだろうけど、おおもとは何かというと、「俺たちが仕切ってる国家をあんなポッと出のヤツにめちゃくちゃにされてたまるか」っていう、検察なりの危機感ですよね。自分たちが作ってきた秩序。戦前から戦後にかけてずっと作ってきた秩序を壊すヤツに対する一つの警告ですよね。ホリエモンは警告の対象であって、もっと言えば村上ファンドとか、堀江に続くああいう人たちに対する牽制なんだろうと思いますね。
安田:だから、立憲君主制度の中で、どこの国でも同じなんだけど、一番力を持ってたのは検事総長なんですよ。最大の暴力装置と最大の権力と権威を持ってたんですね。しかもすごくスマートなんですよ。監獄の典獄(旧制刑務所長)というのもすごい力を持ってたんだけれども、検事総長はもっとすごい力を持っていた。現在も、その頃のことが、検察庁の中で語り継がれている。戦前は検察官と裁判官が同じ場所に座って、実質的に裁判を主宰していた。優秀な人間が検察官に、できの悪いやつが裁判官なる。裁判所は司法省の一部局にしか過ぎない。ところが、戦後、彼らを頂点とした司法体制は解体させられた。戦後の歴史の中で、彼らはいつも不全感を持って、復活の機会をねらってきた。彼らは司法権の独立なんて認めない。彼らは、司法と行政は不可分一体、むしろ司法は行政に支配されるべきと本気になって考えている。だから、本当に彼らを解体し尽くさないと、彼らの性根は直らないと思いますよ。
宮崎:俺もそう思う(笑)。